昭和43年7月9日 夜の御理解
天地の道理から成り立っております、言わば陰陽の道理から成り立っておりますですね、ですから陰陽と、天地というものが、信心の内容として足ろうていかなければいけん。
今あの御祈念前に、椛目の宮崎さん達が夫婦で今度北海道へ旅行されるという、でそのことを、心から何かこう嬉しい気がするんですね、本当にあの、若い時には随分一生懸命、まあ良い意味合いにおいての苦労をなさった方達ですが、まあ年取ってから夫婦で、まあ北海道旅行でもされるということは本当に有り難いことだという私は思うた、こうその事をお礼申さしてもらいよりましたら、あの、おぉ、雄鳥、鶏の御雄鳥の、御心眼を頂いてからね、あの、まあいう、信心の喜びの中にも、やはりこの雄鳥的な喜び、めん鳥的な喜びというものがなからなきゃいけない、この二つが足ろうていかなきゃならないね、まあちょっと例えて言うならですけど、まあ誰、その、まあ近所なら近所の方達が、ん~、夫婦で、え~、まあ仲むつまじゅう、その、ね、まあ旅行にでもされる、そしたら「結構なこっちゃあるたい」っち言うちから、返って腹立つごたる人もやっぱあるかもしれんですね、人が幸せになって行くというのを見たり聞いたりして、そういう時にあの喜べるというような信心は、これは雄鳥的な喜びだろうとこう思うですね、ね、これはもう誰でも喜べる、というような喜び、まあそういうような、その陰陽な喜びというのが一つになっていく、今日あの、午後一時の御祈念の後にでしたが、え~、高橋さんの奥さんが今朝からお夢を頂いておったけれども朝お届するのを忘れとったというのです、それにあの、椛目の方達がですね、え~、今のご信者さん達が、もう見事にさがった藤の花のね、藤の花の、お~下でもうそれをたたえるように見上げながら、その藤の花を眺めておられるところを頂いた、それにあの~、合楽のご信者さん達の誰誰さんがおられたという、あの、お知らせを頂いたというのですよね、ですから同じその藤は藤でも下へ下がって行くところの藤、ね、いよいよ自分達がこう掘り下げられていくといったようなところからいよいよ生まれてくるところの喜び、ね、そこで合楽の人達は非常にこの自分を掘り下げるといったところから喜びを感じれれる人っ、信心がだいたい農耕ですね、ですけれども、やはり今度は反対に今度は富士の山のように上の方へ上げて、こう見上げられるような藤、同じ藤は藤でも、ねその上から下がる藤、または上にこう出ていく藤、登っていく藤、そういう、う~、藤の花とまたは藤の信心といったようなものがですね、やはり足ろうていかなければいけない、いよいよ信心が高められて行く、高められていく信心、例えば人の幸せを聞いて喜べれる信心というのは、これは高められた信心だと思うですね、ね、その高められた信心が大事なんだ、同時にまたは自分がいよいよ掘り下げられていくところの、とこから湧いてくる信心の喜び、そういうようなものが二つが一つになって、信心の本当の有り難さといったようなものは頂けれると思うですね。 どうぞ。